■山歩き同好会とは■
 メンバーには大阪府中小企業家同友会中央西支部の方が多く含まれていますが、山歩き同好会は仕事とは関係なしに行っており、従業員の方や同友会と無関係の個人の方も大阪、京都、奈良方面から参加しています。 毎月1回 (2月、8月を除く) 関西のあまり高くない山に気楽に登っています。歩行距離は10km余りになるのが普通ですが、難易度の高い山にはいきません。時々は町歩きになることもあります。 参加者数は、15人から25人程度で、2,3回参加すると互いの名前が言えます。メンバーの構成は40代~60代で、男女別では男性の方が多くなっています。ほぼ毎回、ビールで反省会をやっています。 山歩き同好会は、健康志向のオープンな同好会で、初心者歓迎です。ご連絡いただけばいつでも参加できます。
■2011.1.16(日)■水都をめぐる淀川~天六 まち歩きコース■
(企画 長島さん)
今日はこの冬最強の寒波到来ということで、京都では大通りでもチェインを巻いたタクシーばかりが目立ちましたが、大阪は晴れで冷たい空っ風が吹いています。町歩きとしては必ずしもよいコンデションではありませんが、複数の新規参加があり総勢22名で歩きました。
9:00 阪急淡路駅東淡路改札口集合
(1)東淡路商店街
09:10 淡路駅出発→東淡路商店街→緑道
阪急淡路駅の東側は現在区画整理事業が進行中。
阪急京都線・千里線の立体交差事業に併せて、阪急淡路駅の高架化が行われ、駅東側の区画整理に伴い、駅前の東淡路商店街が新たな場所に移転する。
JR城東貨物線が「おおさか東線」となって客車運行を始めた。
やがて阪急淡路駅とつながり、新大阪駅まで延びるらしい。淡路駅は立体となり、駅前広場もできる。

亀岡街道の石碑 Photo by 田中さん

(2)亀岡街道
09:20 菅原小学校→亀岡街道→和合橋跡
亀岡街道:大阪高麗橋と京都府亀岡を結ぶ街道。ここからは吹田市を経由し、茨木市の山間部を越えて亀岡に至る。 高麗橋へは、淀川を船で渡った。

菅原天満宮 photo by 田中さん

(3)菅原天満宮
09:30 保存樹 行友家の大楠→09:40 菅原天満宮→淀川堤
行友家の保存樹(楠):高さ22m、幹周り4.4m 大阪市保存樹指定。
菅原天満宮: 菅原天満宮は菅原道真公を祭神とし、寛永年間(1624~44年)、この地が開発されたときに勧請された。境内には、江戸時代の神燈や水鉢などがあり、目をひくのは樹齢約400年といわれている楠の大樹(高さ23.9メートル、幹周り4.6メートルで大阪市保存樹)。現在の社殿は、昭和43年に再建。


赤川(せきせん)仮橋 Photo by 浅尾さん
(4)赤川仮橋
10:00 赤川仮橋
 JR貨物線鉄橋の単線部分を利用した歩行者用仮橋。車は通れない、珍しい橋。
   数年後には通れなくなるので貴重。残念ながら味わい深かった木道が鉄板で覆われてしまった。

(5)城北公園周辺
10:30 赤川廃寺(せきせんはいじ)→わんど→城北公園(トイレ休憩)
周辺の川底からの出土品で鎌倉時代から室町時代にはあったと思われる、赤川寺(せきせんじ)別名「大金剛院」は天台宗の大伽藍の大寺であったが、大阪夏の陣の戦火で焼失した。
渓流の宝石:カワセミがこんな池に
(バードウオッチング中の
方に教えていただいた)Photo by 田中さん
ワンドは、淀川の改修工事によって生まれたものであり、もともと局地的な用語であった。明治期に行われた淀川の改修工事では、蒸気船が遡行しやすいように、あえて水路を曲折させて流れを緩める工事が行なわれた。水路が曲がった部分は水圧の影響を受けやすいので、岸から川に向かって垂直に水制とよばれる河川構造物を設置した。やがてこの水制に囲まれたところに土砂がたまり、その上に水際を好む植生が繁茂し、現在のワンドの元の形が作られた。天然記念物の稀少種イタセンパラの生息地として注目されるようになった。
城北公園は、旧淀川の河川敷を利用して造られた、大きな池と花菖蒲園のある約9.5haの公園。

(6)日吉神社
10:40 城北公園出る→生江湯前→日吉神社→城東貨物線ガードくぐる→淀川堤防
    (淀川河川敷に仮設トイレあり)
日吉神社:創建年代は不明であるが、平安時代にこの付近で多数の荘園が開発・経営されていた。すぐ北を流れる淀川が頻繁に氾濫したため、災害を鎮め、荘園経営を安定させるために神社仏閣を建立して祈願した。 もとは赤川廃寺の境内に位置していた。

(7) 与謝蕪村碑
与謝蕪村碑 Photo by 田中さん
11:30 与謝蕪村生誕地の碑
正確には蕪村がこの近辺のどこで生まれたかははっきりしていないが、本人が毛馬で生まれたということは書簡や句に歌っているので確からしい。若い頃に江戸に発って以降、帰り住むことはなかったと思われる蕪村だが、故郷は常に懐かしんでいたようで、「春風馬堤曲」に収められた「春風や 堤長うして 家遠し」の句が句碑になっている。



毛馬閘門
(淀川取水口側)Photo by 浅尾さん
 
(8)毛馬閘門
11:40 毛馬閘門→旧閘門跡→残念石
 川に流れる水量を調整する役目と同時に、淀川と大川の水位差により困難となる船舶の通過をスムーズにさせるための設備である閘門 および 大川の水を強制排水するための機能を備えている。
17時までは閘門上を歩いて北区へと渡ることができる。
Photo by 田中さん

 煉瓦造りの旧毛馬閘門が保存されていることは、意外と知られていない。閘門の水路跡を歩いて通ることができる。

 残念石:江戸幕府が大阪城を再建するときに廃城となった伏見城の城石を再利用するために運ばれたが、その途中に運搬船から転落した石が淀川の改修工事のときに引き上げられたとある。

鶯塚
(9)鶯塚
12:10 鶯塚→サイゼリア大阪樋之口店(昼食予定)
 千二百年ほど昔、長柄長者の美姫が鶯を飼って人間の様にに可愛がっていた。ところがこの姫が病の為に死ぬと鶯は深くその死を悲しみ歌を詠み後を追う如く死んでしまった。長者たちは、このうるわし話しを後世までも伝えようと鶯を姫と一緒に埋葬して鶯塚と名付けたと言われている。
大阪くらしの今昔館
(再現された路地で遊ぶ子供たち)

 (10)大阪くらしの今昔館
13:30 国分寺→天神橋筋六丁目→14:00 住まいのミュージアム 大阪くらしの今昔館 見学(600円要) 15:00頃 解散
大阪くらしの今昔館:大阪の都市居住に関する歴史と文化をテーマとする日本で最初に開館した、住まい専門の博物館である。江戸時代後期から戦後にかけての住居に関する資料や模型が展示されている。

明治末期に完成した
初代通天閣の再現模型
大阪市内の町並み
(住まいの大阪六景・立体模型)