兵庫津史跡を歩く~日本三大・大仏の三つ目は???
《実施計画》
2012年1月15日(日)
10:00にJR兵庫駅の改札内集合
※レトロな駅舎もコースの中に入っていますので、改札を出る前に集合します。
(JR以外の人は、ちょっとだけ改札のところで待っていてください)
<アクセス参考>
9:21大阪駅 快速網干行
9:56兵庫駅着 (540円)
<コースの概要(仮)>
JR兵庫駅-柳原蛭子神社-湊八幡神社-七宮神社-西出町鎮守稲荷神社-
松尾稲荷神社-高田屋嘉兵衛本店創業の地-キャナルプロムナード-
札場の辻-能福寺(兵庫大仏)-兵庫城跡-清盛塚-真光寺-
兵庫運河(トイレあり)-和田岬線踏切-神戸市ものづくり復興工場前-
兵庫駅前のお店で、昼食兼ミニ新年会です
<見どころ>
神戸市内の一行政区に過ぎない「兵庫」が、なぜ県名に昇格したの?
平清盛の福原京の外港がこのあたり。
陸路・海路の要衝で、かつ有力社寺が集まっていたので、織田信長が怖れ、町を焼き払った。
江戸時代は、難波津と並ぶ港町。
司馬遼太郎「菜の花の沖」で描かれた高田屋嘉兵衛が、淡路島から村抜けをして海運業を始めたのがこの地。
日本三大大仏の一つ、兵庫大仏がある。今回のコースで見学可。
<注意事項>
寒い季節なので温かい格好で。
お弁当は不要です。1時過ぎになると思いますが、駅前のお店で食べたいと思っています。
高低差はほとんどありません。歩道橋の高さぐらい。
トイレは意外と少ないです。駅と兵庫運河以外は、コンビニを利用するしかありません。
《実施報告》 ---解説文は長島さん作成の資料から抜粋---
19名参加(内女性は4名)
柳原蛭子(えびす)神社
元禄以前からこの地に祀られていた。
兵庫津の西国街道西の出入り口として、神社の横に惣門がもうけらていた。 |
湊八幡神社
西国往還に設けた兵庫の出入口
の惣門があった。人の往来が激しい
ので、迷子を知らせる「迷子のしるべ石」
があった。金網で補強された実物、
レプリカが並んで立っている。
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七宮(しちのみや)神社 1161年、経が島築造で難航した平清盛が
社殿を造営。兵庫津の主祭神として、海運
業者の信仰を集めた。生田神社の裔神とされ
たが、江戸時代に訴訟がおき、生田神社との繋
がりは否定された。
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西出町鎮守稲荷神社
平清盛が兵庫築島を改築するとき、工事の
安全のために創建されたと言い伝えられる。
高田屋嘉兵衛献上の灯篭がある。 |
竹尾稲荷神社
創建年不明。現在の社殿は1914年に
造営されたもの。古くは商売の神様とさ
れた松福さんとよばれるビリケンが社殿の
中の奥に祀られている。大正末期に、元町の
洋食店主がアメリカの水兵が持ち込んだも
のを参考に木を彫って作り、店前においたと
ころ、たいへんな効果があり、来客が多
すぎ困り果て、神社に奉納したという。
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札場の辻跡 大きな高札場があったので 「札場の辻」とか「札の辻」と呼ばれた。
付近には多くの旅籠もあって大層賑わ
いを見せていた。
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兵庫大仏
「兵庫の大仏さん」で知られる。戦前まで
この地に日本3大・大仏のひとつとして
知られた兵庫大仏があったが、戦時中に
金属回収令により供出。平成3年に
関係者の努力により復興された。
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兵庫城後(最初の県庁跡)
昔兵庫城があった場所といわれ、兵庫
城に初代の兵庫県庁が置かれたとい
われている。新川運河沿いに、キャナ
ルプロムナードが整備されている。
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清盛塚 十三重の塔は、かつて清盛の墓と思われて いたが発掘調査の結果、そうではないことが わかった。石造りのアーチ橋「大輪田橋」 が見える。 |
真光寺 時宗の開祖、一遍上人の墓所がある。
一遍上人は「すべての人は念仏を唱えれば
救われる」と全国を行脚した。(背景はおそらく、
管理人のいなくなった墓石を積み上げたもの)
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和田岬線踏切 JR和田岬線は兵庫駅から分岐する2.7km の支線。1888年に資材輸送のために敷設。 現在は、朝夕のラッシュ時の通勤客を対象 とした列車が走行する。 |
昼食会場 味のある看板 |
新年会を兼ねて遅めの昼食2時頃 海鮮丼、船盛り定食の他、飲み物も安い (ただし同時に19人が注文したので時間がかかった) |